No.35 コロナで、大騒ぎの新年を迎えました

今は、考える時間があります。大きく発展する改革を、計画しましょう。

振り返りますと、製品業界も大発展した時期がありました。

多くの創業者が、頑張っていた時代です。

1.昭和28年に、建築用ブロックが出現、4,000工場が出来ました。

その後、設備が大型化し協同企業を作って、対処しました。

更に、その後、化粧ブロックに、活路を見出して、現在に至っています。

2.間知ブロックが大きく伸びました。原田は、低品質の2ヶ取りマシンを止めさせて、1ヶ取りマシン3台の工場プランを推進しました。

3.国内設備メーカーが連続養生ラインの第一号をやりましたが上手くいかず、撤去しました。原田が改革をやり、全国300ラインにまで、急速に普及しました。

4.原田が、インターロッキングブロックの第一号の工場を関東小野田ブロック社に作り、日本がスタートしました。半自動機でした。

1年後、秩父セメントが、これを3台据えて追いかけました。

全自動にすべきなのに、しませんでした。その半年後に、全自動マシンを原田が九州に導入し、更に、9工場まで増やしました。Hessマシンを使いました。

5.その後、原田はアルコンダのスイス人の特許と、ドイツ社が実用化したノウハウを高値で購入し、無料で全社(9社)が車道を攻め、プレキャスト舗装が860万㎡まで伸びました。25年後の現在まで、補修しなくてOKを実証中です。

しかし、このドイツマシンが老朽化、国産マシンに代わり小型機械になった為、生産不能となり、インターロッキングブロックも時速30㎞以下の道路にしか使用してもらえなくなり(空隙率が8~9%にアップした)、860万㎡から現状の230万㎡まで減ってしまいました。

最近になって、ドイツの即脱の成形技術が大きく進歩したので、原田は、この新工場を日本でスタートさせるべく、役所サイドに働き掛けています。

メーカーサイドも動くべき時代です。名古屋市は、車道にコンクリートを使う割合がダントツで15%を越え日本一です。有名レポートを出しています。

アスファルトの補修費が、かなり掛かるグラフを発表しています。

近年、技術の進歩で、アスファルトの発生量が大巾に減少し、価格が4倍以上になりました。輸入材料となったのです。

アスファルト→生コン→インターロッキングブロックに次ぐ、第4の車道表面が求められています。

今は、95%の舗装がアスファルトです。欠点がハッキリしています。

6.その次に、L型擁壁が出現、全国に広げることに原田は努力しました。

7.原田は、親子トラバーサーの特許を取り、大型製品の生産ラインを普及させました。

この様に、以前はコンクリート製品業界も、多くの改革が実現して来ました。

8.最近、改革がストップしています。いざスタートしましょう!

いろいろやりたい事があります。大巾コストダウンの方法も、いろいろ出て来ています。

原田株式会社 原田理一

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